7月18日付けの琉球新報&沖縄タイムスの一面に ドーン と掲載されたのが
琉舞 重要無形文化財に
の見出しでした。
今までに何度もそういう話はあったようで、
「ようやく認められた」
と、玉城流の玉城節子先生がコメントされていらっしゃいました。
琉球舞踊と同時に、組踊の小道具を創っておられる工房も認定され、沖縄の古典芸能に、明るい光が差し込んできたようです。
琉球舞踊は、もともと首里の王府で培われてきた芸能で、中国からの冊封使を歓迎する宴や、薩摩の江戸上りに同行し、江戸城をはじめ、諸藩の重鎮を江戸の薩摩屋敷に招いて披露するために洗練されてきた歴史があります。
琉球は小国ですが、芸能を巧みに政治へ利用して、対中国、対日本へ存在感を保持していました。
ですが明治に入り、廃藩置県が行われると、それまで芸能に関わってきた士族達の生活が困窮してきます。
その対策の一つとして、王府の芸能を舞台で見せたり、教えたりするようになっていきました。
ですから、歴史的価値は十分にあると思いますし、このような評価を受けるに相当すると思います。
ぎーぎーも一応琉球芸能に関わっていますから、この記事を見たときは、とても嬉しく思いました。
ですが、記事をよくよく読んでみると、決して安穏ではないようです。
というのも、琉球舞踊は一旦は先代から型を受け継ぐのですが、同時にその人のオリジナルへ型が少しずつ変化して次へと引き渡され、またそれを継いだ人がその人オリジナルの動作などを加えて次へ・・・という形式で継承されてきた経緯があります。
おそらく、今まで重要無形文化財に指定されなかった理由は、琉球王府時代の型が崩れてしまい、現在では残っていないのではないかと判断されていたのだろうと思います。
実際、元々同じ舞踊であったにもかかわらず、驚くほど異なる舞踊はたくさんあります。
ぎーぎーの所属している渡嘉敷流は、他所の舞踊と比べて手数が多く、足運びが複雑だなぁという印象があります。
渡嘉敷流も時間と共に型が崩れているのかもしれませんが、他所の研究所でも本来の踊りが簡略化されている可能性があったり、琉球舞踊本来の動きではなく、日本舞踊に近いような動きに変わっているところもあるのは事実です。
沖縄芸能史研究会相談役の、崎間麗進氏は、今後の課題として
「基本に立ち返ること」
とし、
「腰を入れる」「歩み」「着付け」など基本的なことがだんだん崩れてきている。
国の重要部犬文化財として指定された以上は、いま一度、先代たちから教えられた「形」を振り返り、それを再確認することが求められている。
とコメントされております。
ぎーぎーも 「基本に立ち返る」 という事には賛成です。
本来の舞踊も残しつつ、新しいモノも入れていく、というスタイルの方が、琉球芸能らしい気がします。
これから琉球舞踊がどのように進化していくのか、見守っていきたいと思います。

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