『THE BEST OF ANDREA BOCELLI Vivere』となっている『タイム・トゥ・セイ・グッバイ~ボチェッリ・スーパー・ベスト』を購入しました。
今まで彼が出したアルバムのベスト版ですので、人気のある曲を中心に再録音のものも含めて20曲ほど入っています。中でもサラ・ブライトマンとデュエットした「TIME TO SAY GOODBYE(Con te partiro)」が気に入り、買うに至ったのですが、全部聞いてみて一番気に入ったのが、日本版限定のボーナストラックに夏川りみとデュエットした曲「SOMOS NOVIOS」です
CDの解説を読んでみると、この曲は1968年にメキシコで書かれたアルマンド・マンサネーロの「私たちは恋人同士」がオリジナルだそうですが、1970年にペリー・コモが英語で歌ったところ、全米で大ヒット。
それを2006年のアルバム 『貴方に贈る愛の歌』 の日本盤用ボーナストラックとして、オリジナルと同じスペイン語で、夏川りみとデュエットしたものなのだそうです。
ボチェッリ自身が彼女の澄んだ、鍛錬していることが伝わるクオリティの高い歌声に惚れ込んだ事で実現した共演である、とありました。
スペイン語で書かれた歌詞だと何がなんだかわからないので、対訳を見てみると、
僕たちは恋人同士
それは お互い深い愛情を感じているから
それがあるだけで
僕たちはこの世界の中で
一番大きなものを手にしている
愛し合い キスを交わす
恋人同士がするように お互いを欲し
そして時には理由も訳もなく
喧嘩をしてしまう
私たちは恋人同士
汚れのない 美しい愛情を保っている
皆がそうするように
一番大変なときでもがんばっている
語り合い
最も甘美なキスを交わすために
桜が何色かを思い出したり
もう余計な説明もいらないでしょう
私たちは恋人同士
貴方の愛なしでは駄目だから
解説にも書かれているように、彼女の声は透明感があって歌に力があると思います。
声もよく伸びますし、私も大好きで、彼女のように歌が歌えたらいいなぁといつも思っています。
ですがこの 「SOMOS NOVIOS」 を録音するときは相当緊張されたせいなのか、歌声を聴くたびに「硬い!」と感じてしまいます。
僕たちは恋人同士
それは お互い深い愛情を感じているから
それがあるだけで
僕たちはこの世界の中で
一番大きなものを手にしている
愛し合い キスを交わす
恋人同士がするように お互いを欲し
そして時には理由も訳もなく
喧嘩をしてしまう
私たちは恋人同士
汚れのない 美しい愛情を保っている
皆がそうするように
一番大変なときでもがんばっている
語り合い
最も甘美なキスを交わすために
桜が何色かを思い出したり
もう余計な説明もいらないでしょう
私たちは恋人同士
貴方の愛なしでは駄目だから
解説にも書かれているように、彼女の声は透明感があって歌に力があると思います。
声もよく伸びますし、私も大好きで、彼女のように歌が歌えたらいいなぁといつも思っています。
ですがこの 「SOMOS NOVIOS」 を録音するときは相当緊張されたせいなのか、歌声を聴くたびに「硬い!」と感じてしまいます。
「Somos novios (私たちは恋人同士)」
と歌い始めますが、歌いかけている相手はもちろん「恋人」です。声を張りすぎてしまい、硬い印象になっていて、恋人に語りかけるというシチュエーションからは遠くなっています。
もったいないです、できれば録り直ししてもらえばよかったのに・・・と思ってしまいました。
歌を歌うという行為そのものは、誰にでも出来る事です。
その上で、「歌がうまい」というのは、単に音程がしっかりしている、声がいいというだけでは駄目なんだということを痛感しました。
というのも、「歌の良し悪し」については、他人事ではなく、歌三線を勉強中の私自身にも同じ様に問われていることだからです。
一生懸命歌っているだけでは、沖縄の言葉で 「歌情がない」 と言われてしまうのです。
では 「歌の情」 とは何なのか?
これが言葉ではなかなか言い表せないものですが、あえてぎーぎーなりに表現してみると
「歌の情景が思い浮かび、魂を揺さぶられる」
ということではないかと思うのです。
そのためには歌の意味を知り、理解する。指定された音譜通りに歌う事が出来る。
自分なりのイメージを持ち、技法を駆使して表現する。という三つが必要なのではないかと思います。
アンドレア・ボチェッリ氏の歌声は、今は亡きパバロッティも絶賛したほどで、力みが全くなく、自然体で歌うのに力強く、魂に響いてくるという不思議な声だと思います。
こんな風にいつでもどこでも歌えたらなぁ・・・と夢見ながら今日も歌三線の稽古に励んでいるぎーぎーです 。
と歌い始めますが、歌いかけている相手はもちろん「恋人」です。声を張りすぎてしまい、硬い印象になっていて、恋人に語りかけるというシチュエーションからは遠くなっています。
もったいないです、できれば録り直ししてもらえばよかったのに・・・と思ってしまいました。
歌を歌うという行為そのものは、誰にでも出来る事です。
その上で、「歌がうまい」というのは、単に音程がしっかりしている、声がいいというだけでは駄目なんだということを痛感しました。
というのも、「歌の良し悪し」については、他人事ではなく、歌三線を勉強中の私自身にも同じ様に問われていることだからです。
一生懸命歌っているだけでは、沖縄の言葉で 「歌情がない」 と言われてしまうのです。
では 「歌の情」 とは何なのか?
これが言葉ではなかなか言い表せないものですが、あえてぎーぎーなりに表現してみると
「歌の情景が思い浮かび、魂を揺さぶられる」
ということではないかと思うのです。
そのためには歌の意味を知り、理解する。指定された音譜通りに歌う事が出来る。
自分なりのイメージを持ち、技法を駆使して表現する。という三つが必要なのではないかと思います。
アンドレア・ボチェッリ氏の歌声は、今は亡きパバロッティも絶賛したほどで、力みが全くなく、自然体で歌うのに力強く、魂に響いてくるという不思議な声だと思います。
こんな風にいつでもどこでも歌えたらなぁ・・・と夢見ながら今日も歌三線の稽古に励んでいるぎーぎーです 。

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