物語の中心が沖縄になっている 桐野夏生さんの小説 『メタボラ』。
新聞掲載時にも読んでいたのですが、途中抜けてしまった部分もあったので、図書館に予約を入れました。
一度読んだ事もあったため、短時間で読むことができました。
<本のデータ>
桐野夏生著 『メタボラ』
朝日新聞社
初出 朝日新聞 2005年11月28日~2006年12月21日
お話は主人公の青年が、沖縄のやんばるをさまよう場面から始まります。
山中を逃げ、舗装された道路へ出たところで昭光と出会い、記憶が失われていることに気づきます。
そこで昭光に「ギンジ」という名前をもらい、一緒に山を下ります。
お互いを思いながらそれぞれの生き方をしていきますが、時々交差して話が進みます。
ギンジは、記憶を失った事を隠して石材店で働き始めますが上手くいかず、次に「安楽ハウス」というドミトリーへ移り、オーナーに記憶喪失を打ち明けてそこで働き始めます。
次第に記憶を取り戻していきますが、父親の暴力で母親が家を出てしまった事、父親が働かなくなり、大学生だった自分は高校生の妹の学費を捻出するため学生を断念した事、
父親が自殺をしてしまった事、住み込みの派遣の仕事について希望が見えなくなっていった事、ネットで集団自殺をしようとやんばるへ行き怖くなって逃げ出した事など、
どれも悲しい記憶ばかりでした。
一方の昭光は、ギンジに説明した家庭環境は嘘で、宮古島で一番のお坊ちゃん。
島から出たい一心で、本島にある「独立塾」へ入るも耐えられず脱走します。
今まで何の苦労もせず、毎日面白おかしく過ごしてきた昭光は、生活のためにホストになり、世間の厳しさに触れます。
一見簡単そうで楽しそうに見えましたが、様々な規律があり、それらを守ることができずに次々とトラブルを抱えてしまいます。
この作品では、二人の対照的な青年を描いていますが、どちらの人物も現代に巣食う問題と対峙しています。
以前に同作家の『OUT』という作品も読んだ事がありますが、いずれも社会の底辺で必死に働いている人々(この「社会の底辺」という言葉は好きではない)にスポットを当てています。
どうしようもない閉塞感とそれに伴う苛立ち、さらには人間のずるさ、弱さを上手く浮き上がらせていると思います。
少し前に秋葉原で連続通り魔事件がありましたが、ギンジが送っていた生活は、事件加害者と重なります。
最低限の生活を送るのに精一杯で希望が見えてこないという現代社会の悲しさが、この作品からは悲鳴のように聞こえてきます。
ぎーぎーも少し前までは絶望していて、生きているのが本当につらかった時期がありました。
でもいつかそこから這い上がれるとずっと信じており、今は少しだけ状況が改善されました。
ただ、「現実はそう甘くない」といいます。
希望が見えなくても、希望を捨てないで!と言葉で言うのは簡単ですが、実行するのは難しいです。
でも、希望を捨てなければいつか状況は変わっていくものと、ぎーぎーは信じ続けています。
まだまだ、ぎーぎーは甘いのでしょうかね?

コメント